SEOUL · GWANGHWAMUN
国立民俗博物館の前庭で、移された家と作り直された路地のあいだを歩く午後
マヤが三清路側の正門から入り、案内ごとに「作り直したもの」と「移してきたもの」を分けた午後 — 1848年に建てられた梧村宅は、2010年に盈徳から移されてきた
光化門シリーズの5本目、景福宮4か所の最後。今回は宮殿の切符売り場ではなく、三清路側の国立民俗博物館の正門から入ります。博物館は無料で、景福宮の観覧は別途有料。前庭には1970〜80年代のソウルの路地を再現した通りと、実物大で作り直された長丞、そして1848年に慶尚北道盈徳で建てられ、2010年にここへ移された家が並んでいます。マヤは博物館の案内を読みながら「作り直したもの」と「移してきたもの」を分けていきます。週末・祝日は屋外展示場の内部観覧が制限され、平日は観覧できます。

行き方
経路ボックスの731m・10分は、景福宮駅5番出口から三清路側の国立民俗博物館正門までの地図経路の計算値です。博物館の案内は同じ道を徒歩約14分と記しています。景福宮の切符売り場ではなく、博物館の正門から入ります(博物館は無料、景福宮の観覧は有料)。
景福宮4か所の最後。勤政殿、慶会楼、香遠亭まで、マヤは宮殿の門から入りました。今日は別の門から行きます。景福宮駅5番出口から東十字閣を過ぎて三清路を歩くと、左手に国立民俗博物館の正門があります。地図の経路で731メートル、10分。博物館の案内は徒歩約14分と記しています。
マヤのスマホには、この博物館の前庭で撮られた写真が保存されています。古びた看板が並ぶ路地、文房具店の前の小さな椅子、青い門。どれも「レトロな路地」という言葉と一緒でした。マヤは、その路地がもともとここにあったのかが気になっていました。
答えの半分は、博物館の屋外展示の案内にありました。1970〜1980年代のソウルの町の路地を「再現」した、という一文。マヤは手帳のいちばん上に二つの欄をつくります。「作り直したもの/移してきたもの」。今日は前庭の案内をひとつずつ、この二つの欄に分けて書くことにします。
三清路側の門から — 無料の博物館、有料の宮殿
国立民俗博物館(ソウル本館)は事前予約なしで観覧できます。観覧時間は3〜10月09:00〜18:00、11〜2月09:00〜17:00で、入場は観覧終了の1時間前まで。3〜10月は毎週水曜日に09:00〜20:00まで延長開館します。週末と祝日は安全上の理由で屋外展示場の内部観覧が制限され、平日は観覧できます。休館日は1月1日、旧正月当日、秋夕当日(2026年9月25日)と告知された臨時休館日です。問い合わせ 02-3704-3114。
博物館は事前予約なしで入れます。入場料は無料で、景福宮の観覧は別途有料だと案内にあります。博物館の世宗移転・新築の紹介文は、1993年から現在の場所を「景福宮の一角」と記しています。けれど、入る門も料金も宮殿とは違います。マヤはその違いを手帳のいちばん上に書いておきます。 地図で探す

時間も書いておきます。3月から10月は9時から18時、入場は終了の1時間前まで。水曜日は20時まで開いています。そしてもう一行。週末と祝日は安全上の理由で屋外展示場の内部観覧が制限され、平日は観覧できます。今日は平日です。
正門を過ぎても、マヤは本館へまっすぐ入りません。今日の場所は建物の中ではなく、前庭の屋外展示です。
作り直した路地 — 70・80思い出の通り
国立民俗博物館は屋外展示「70・80思い出の通り」を、1970〜1980年代のソウルの町の路地を再現した場所と記しています。国民学校前の駄菓子屋・文房具店・貸本漫画店を過ぎて銭湯まで続き、北村国民学校(「国民学校」は1996年3月1日に「初等学校」へ改称される前の名前)、文房具店、スーパー、漫画店、軽食店、理髪店、精米所などが並びます。理髪店には、鍾路にあった花開理髪館で使われていた理髪椅子と道具が置かれています。
保存していた写真の路地がここにあります。国民学校前の駄菓子屋、文房具店、貸本漫画店を過ぎて、銭湯まで続く通り。博物館はこの通りを、1970〜1980年代のソウルの町の路地を再現した場所だと記しています。マヤは一つめの欄、「作り直したもの」にこの路地を書きます。 地図で探す

学校の名前は「北村国民学校」。案内によれば「国民学校」は、1996年3月1日に「初等学校」へ改称される前の呼び名です。マヤが生まれる前に消えた名前。画面では、この看板はただの古い文字に見えていました。

ところが、この路地の中にも二つめの欄の近くに置くものがあります。理髪店の案内には、鍾路にあった花開理髪館で使われていた理髪椅子と道具を置いたと書かれています。通りは作り直したものですが、椅子と道具は鍾路の花開理髪館で実際に使われていたものです。マヤは二つめの欄の脇に、案内自体には「移してきた」とは書かれていないという小さな印を付けて書きます。

マヤは二つの欄のあいだに小さな矢印を引きます。「作り直した路地の中の、鍾路の理髪店で使われていた椅子。*」保存していた写真には、理髪店は写っていませんでした。

実物大でそっくりに — 長丞、石塔、そして水標
国立民俗博物館の屋外展示案内によれば、長丞(チャンスン)の丘の石の長丞は、全国各地の長丞のうちその地域の特徴をよく表す代表的なものを選び、実物大でそっくりに作って立てたもの、石塔は忠清北道沃川郡東二面マティ村の石塔を再現したものです。前庭の水標は、英祖の時代に作り直されて清渓川の水標橋の前に立てられた水標(1973年から世宗大王記念館に保管)を複製したものです。
思い出の通りのあと、マヤは長丞の丘へ向かいます。案内によれば、この石の長丞は全国各地の長丞のうち、その地域の特徴をよく表す代表的なものを選び、実物大でそっくりに作って立てたものです。そばの石塔は、忠清北道沃川のある村の石塔を再現しています。マヤはどちらも一つめの欄へ。 地図で探す

「そっくりに作って立てた」という言葉を、マヤはしばらく見ています。実物大で、同じ形。けれど、もとの場所はここではありません。長丞はもともと村の入口で村を守るものだったと案内は記しています。ここでは村のかわりに、博物館の前庭に集まって立っています。

前庭には水標もあります。水標は、日照りと洪水に備えて水位を測った道具です。案内によれば、英祖の時代に作り直されて清渓川の水標橋の前に立てられた水標は1973年から世宗大王記念館に保管されていて、これはその複製だといいます。原物は、清渓川の水標橋の前に立っていた石の水標です。マヤは手帳の隅に「次は清渓川」と書きます。

移してきた家 — 1848年の梧村宅
国立民俗博物館の屋外展示案内によれば、梧村宅(オチョンデク)は慶尚北道盈徳郡寧海面元邱1里にあった家を、英陽南氏蘭皐宗派から2010年に寄贈を受けて移したもので、解体の際に出てきた上梁文によって1848年に建てられた家と確認されました。中庭を囲むロの字形の家で、母屋と舎廊棟がつながっています。孝子閣は許権(1847〜1895)に下された孝子の旌閭を記念した碑閣と門で、子孫の住まいの中にありましたが、2005年の洪水で損傷するなど保存が難しくなり、2008年にここへ移されました。
二つめの欄がようやく埋まるのは、梧村宅(オチョンデク)の前です。案内によれば、慶尚北道盈徳郡寧海面にあった家を2010年に寄贈を受けてここへ移したもので、解体の際に出てきた上梁文から1848年に建てられた家だと確かめられました。 地図で探す

中庭を囲むロの字形の家で、母屋と舎廊棟がつながっていると案内は記しています。裏庭には甕置き場、右の庭には踏み臼の小屋と井戸、便所を置いたといいます。この家が盈徳からここまでどうやって来たのかを、マヤは書きません。案内にはない話です。書くのは二つの年だけ。1848と2010。
前庭には孝子閣もあります。許権という人に下された孝子の旌閭を記念する碑閣と門で、子孫の住まいの中にあったが、2005年の洪水で損傷するなど保存が難しくなり、2008年にここへ移されたと案内は記しています。塀は範囲だけを示してあります。マヤはこれも二つめの欄に書きます。

手帳の二つの欄は、ほとんど同じ長さになりました。作り直した路地と長丞と水標、移してきた家と碑閣、そして鍾路の理髪店で使われていた椅子。保存していた「レトロな路地」の写真は、間違っていたわけではありません。ただ、その写真には、この路地が再現だという一文がありませんでした。マヤが今日読んだのは、写真の外にある案内です。
最後にマヤは、博物館の沿革を読みます。1946年にソウルの芸場洞で開館した博物館は、景福宮の修政殿と旧国立現代美術館の建物を経て、1993年に今の建物へ移ってきました。そして世宗市への移転・新築を進めています。マヤは二つめの欄のいちばん下に、博物館の名前を書きます。ささやかなおすすめもひとつ。前庭に行ったら、写真を撮る前に屋外展示の案内を読むこと。それから、平日に行くこと。

自分の午後に置き換えてみる
景福宮駅5番出口から三清路側の国立民俗博物館の正門へ入り、前庭の屋外展示の案内を読みながら「作り直したもの」と「移してきたもの」を分けてみる編集上の提案です。731m・10分は景福宮駅5番出口から博物館正門までの地図経路の計算値で、博物館の案内は徒歩約14分と記しています。
順番を示す概念図 · 縮尺・方位・実際の道の形を表すものではありません。
- 景福宮駅5番出口 → 博物館正門 — 東十字閣を過ぎて三清路(三清洞通り)を歩くと、左手に正門があります。地図の経路で約731m、10分。博物館は無料、景福宮の観覧は別途有料です。 地図で探す
- 70・80思い出の通り — 1970〜1980年代のソウルの町の路地を再現した通りです。理髪店の案内に、鍾路の花開理髪館で使われていた理髪椅子と道具があると書かれています。 地図で探す
- 長丞の丘 · 水標 — 実物大でそっくりに作った石の長丞、沃川の村の石塔の再現、清渓川の水標の複製があります。 地図で探す
- 梧村宅 · 孝子閣 — 1848年に建てられ2010年に盈徳から移された家と、2008年に移された孝子閣です。 地図で探す
アクセス
TMAP確認 2026.09.23
3号線景福宮駅5番出口から国立民俗博物館の正門(三清路側)まで、地図の経路で731m・約10分(TMAP歩行者経路)。博物館の案内は、景福宮駅5番出口から東十字閣を過ぎて三清洞通りを歩いて約14分と記しています。住所は鍾路区三清路37、博物館内に駐車場はありません。
時間・料金
確認 2026.09.23
国立民俗博物館(ソウル本館)は事前予約なしで観覧できます。観覧時間は3〜10月09:00〜18:00、11〜2月09:00〜17:00で、入場は観覧終了の1時間前まで。3〜10月は毎週水曜日に09:00〜20:00まで延長開館します。週末と祝日は安全上の理由で屋外展示場の内部観覧が制限され、平日は観覧できます。休館日は1月1日、旧正月当日、秋夕当日(2026年9月25日)と告知された臨時休館日です。問い合わせ 02-3704-3114。
確認 2026.09.23
国立民俗博物館の入場料(観覧料)は無料です。景福宮の観覧は有料です。
もっと知る4
確認 2026.09.23
国立民俗博物館は屋外展示「70・80思い出の通り」を、1970〜1980年代のソウルの町の路地を再現した場所と記しています。国民学校前の駄菓子屋・文房具店・貸本漫画店を過ぎて銭湯まで続き、北村国民学校(「国民学校」は1996年3月1日に「初等学校」へ改称される前の名前)、文房具店、スーパー、漫画店、軽食店、理髪店、精米所などが並びます。理髪店には、鍾路にあった花開理髪館で使われていた理髪椅子と道具が置かれています。
確認 2026.09.23
国立民俗博物館の屋外展示案内によれば、長丞(チャンスン)の丘の石の長丞は、全国各地の長丞のうちその地域の特徴をよく表す代表的なものを選び、実物大でそっくりに作って立てたもの、石塔は忠清北道沃川郡東二面マティ村の石塔を再現したものです。前庭の水標は、英祖の時代に作り直されて清渓川の水標橋の前に立てられた水標(1973年から世宗大王記念館に保管)を複製したものです。
確認 2026.09.23
国立民俗博物館の屋外展示案内によれば、梧村宅(オチョンデク)は慶尚北道盈徳郡寧海面元邱1里にあった家を、英陽南氏蘭皐宗派から2010年に寄贈を受けて移したもので、解体の際に出てきた上梁文によって1848年に建てられた家と確認されました。中庭を囲むロの字形の家で、母屋と舎廊棟がつながっています。孝子閣は許権(1847〜1895)に下された孝子の旌閭を記念した碑閣と門で、子孫の住まいの中にありましたが、2005年の洪水で損傷するなど保存が難しくなり、2008年にここへ移されました。
確認 2026.09.23
国立民俗博物館の沿革によれば、1945年11月8日に国立民族博物館として創立し、1946年4月25日にソウル中区芸場洞で開館しました。1966年10月4日に景福宮の修政殿で韓国民俗館を、1975年4月11日に景福宮内の旧国立現代美術館の建物で韓国民俗博物館を開き、1993年2月17日に現在の建物(旧国立中央博物館庁舎)へ移って開館しました。博物館は世宗市の国立博物館団地への移転・新築を進めています。
- 国立民俗博物館(ソウル本館)は事前予約なしで観覧できます。3〜10月09:00〜18:00、11〜2月09:00〜17:00、入場は観覧終了の1時間前まで。3〜10月の毎週水曜日は20:00まで延長開館します。休館日は1月1日、旧正月当日、秋夕当日(2026年9月25日)と告知された臨時休館日です。入場料は無料で、景福宮の観覧は有料です。問い合わせ 02-3704-3114(2026年9月23日確認)。
- 週末と祝日は安全上の理由で屋外展示場の内部観覧が制限され、平日は観覧できます(博物館の案内)。訪問日の博物館の告知を確認してください。博物館内に駐車場はありません。


