SEOUL · HAPJEONG
日曜に一度、月曜にもう一度。ノアが合井駅7番出口から歩いた切頭山殉教聖地と楊花津外国人宣教師墓苑
史跡「ソウル 楊花渡と蚕頭峰遺跡」の聖堂と博物館、週末の解説付き巡礼、そして日曜は一般公開されない墓苑へ
望遠漢江公園でヒナと別れた翌日、ノアは合井駅7番出口を出た。手帳に描こうと思っていた2か所のうち、一方は日曜に一般公開されていなかった。

行き方
日曜の朝、ノアは手帳を開き、昨日ヒナと座った望遠漢江公園のレジャーシートの場所をもう一度眺めます。小さな四角と、その横の「ヒナの道」という書き込み。今夜の便で東京へ帰るヒナに、昨日の別れ際、今日は合井のあたりで絵を描いて送ると約束しました。カナダから来たノアは、ソウルに滞在しながら街の道を歩き、絵に残しています。今日描く道の出発点は、合井駅7番出口です。

行き先に選んだのは、合井駅7番出口から歩ける切頭山(チョルトゥサン)殉教聖地と、楊花津(ヤンファジン)外国人宣教師墓苑の2か所です。どちらも同じ出口から近く、漢江のほうにあります。ソウルに来たばかりの頃、この近くを通って川沿いの丘の上に建物があるのを見かけましたが、どんな場所なのかは知りませんでした。今日は絵を描く前に、その場所の歴史を読んでから向かうことにしました。
前の晩、両方のウェブサイトを丁寧に読んでいて、ノアは一つ気づきました。楊花津外国人宣教師墓苑が開くのは月曜から土曜までで、日曜は一般の訪問者には公開されていません。日曜にお墓参りができるのは、遺族だけです。手帳の予定を直し、日曜は切頭山、月曜の朝は墓苑へと、まとめて回るつもりだった道を2日に分けました。
ノアは、この予定変更も悪くないと思っています。昨日、望遠漢江公園でヒナが「ソウルの公共の場所って、どこで、何時までかをきちんと決めてあるね」と話していたのを思い出すからです。墓苑を日曜に一般公開しないのも、そんな約束の一つでした。そこに眠る人たちの家族が、静かに訪ねられる日を残しておく。その理由を考えると、2日に分けて歩くほうが、この場所に合っている気がします。
この記事は、その2日間の物語であり、切頭山殉教聖地と楊花津外国人宣教師墓苑を初めて訪ねる人のための案内です。合井駅の出口と歩き方から、2か所の歴史、開いている時間、守りたいマナーまでをたどります。週末だけの解説付き巡礼と、日曜の墓苑のことも、ノアと一緒に順に見ていきましょう。
The Cue
切頭山殉教聖地と楊花津外国人宣教師墓苑は、地下鉄2・6号線 合井駅7番出口から漢江のほうへ歩いて行ける歴史の場所で、切頭山までは約450m、徒歩10分です。切頭山は1866年の丙寅迫害でカトリック信者が処刑された場所で、国の史跡「ソウル 楊花渡と蚕頭峰遺跡」に指定されており、聖地自体はいつでも訪問できますが、各施設には開館時間があります。丙寅殉教100周年記念聖堂と聖人遺骸室は07:00〜17:00、韓国カトリック殉教者博物館は火〜日曜09:30〜17:00です。楊花津外国人宣教師墓苑の入口は7番出口正面の楊花亭脇の小道を200m余り進んだ先にあり、開苑は月〜土曜10:00〜17:00ですが、土曜は10:00〜15:00に案内を予約した人だけ、日曜は遺族だけが入れます。どちらも静かに過ごす場所なので、声の大きさと撮影のルールを先に確かめておきましょう。
- 切頭山殉教聖地: ソウル特別市麻浦区土亭路6(合井洞)。合井駅7番出口から徒歩約450m・10分。
- 切頭山の開館時間: 聖堂・聖人遺骸室07:00〜17:00(ミサ中は遺骸室に入れません)。博物館は火〜日曜09:30〜17:00、月曜・1月1日・旧正月と秋夕の連休は休館。見学は任意の献金。
- 解説付き巡礼: 土・日曜のみ、予約不要。教育館前を11:00・11:30・13:00・14:00に出発、所要50分。動画撮影・録音はできません。
- 楊花津外国人宣教師墓苑: ソウル特別市麻浦区楊花津キル46。合井駅7番出口正面の楊花亭脇の小道を200m余り。
- 墓苑の開苑時間: 月〜土曜10:00〜17:00。土曜は10:00〜15:00、案内の予約者のみ。日曜は遺族のみ。案内の予約は訪問前日の18:00まで(当日予約不可)。
- マナー: 静かに過ごすこと。切頭山は飲酒・喫煙、自転車・キックボード、盲導犬以外のペットは禁止。聖堂・博物館内の写真撮影は事前に相談した場合のみ。墓苑の参拝路は一列で歩き、写真は墓域の間の小道からのみ撮影。飲食・拡声器の使用は禁止。
合井駅7番出口から、川のほうへ450m
日曜の10時30分、ノアは合井駅7番出口を出ます。切頭山まではここから約450m、歩いて10分で、バスで来る場合も合井駅で降りれば同じ道を歩けます。出口の前で手帳を開き、今日の出発点になる最初の線を引きます。正面に見える東屋は楊花亭で、明日、墓苑へ向かうときにその脇を通ることになります。


川のほうへ歩きながら、ノアは昨晩読んだ話を思い出します。楊花津という名前は、韓国語で意味をたどると「柳の花が咲く渡し場」。川辺にそびえる峰は蚕の頭に似ていることから、蚕頭峰と呼ばれていました。名前だけなら穏やかな川辺が浮かびますが、この峰がのちにまったく違う名前で呼ばれることも、ノアはもう知っています。
歩くにつれて、街の様子が少しずつ変わっていきます。駅前のにぎやかな通りを過ぎると静かになり、丘のほうへ上るほど木が増えてきます。日曜の午前中とあって、聖地へ向かう人の中にはミサに行くらしい人たちもいて、ノアは少し歩調を緩め、流れを妨げないよう道の端を歩きます。車で来る場合は聖地内の屋外駐車場を使えますが、聖地への訪問が目的ではない車両とバスは駐車できず、土・日曜と祝日は公共交通機関を利用すると便利です。
楊花津・蚕頭峰から切頭山へ、名前が伝える歴史
切頭山の入口に着くと、ノアは案内文の前でしばらく足を止めます。楊花渡と蚕頭峰は、15世紀の朝鮮王朝・太宗の時代から17世紀の仁祖の時代まで、主に明の使節をもてなした場所で、高官や士大夫が別荘を建てて風流を楽しむ景勝地でもありました。雪に覆われた楊花渡を歩く「楊花踏雪」は、漢陽の美しい景色を10挙げた「漢都十詠」の一つです。英祖30年にあたる1754年には、正式な軍の陣営が置かれました。

やがて、1866年の丙寅迫害を迎えます。それまでセナムトや西小門の外で行われていたカトリック信者の処刑が、その年の10月から突然、楊花津で行われるようになりました。この頃から、峰は「カトリック信者の首が切られた峰」を意味する切頭山と呼ばれるようになります。殉教録から推定される切頭山の殉教者は200人前後で、記録から名前を確認できるのは29人です。ノアは、絵を描く手帳に記すには重すぎる数字だと感じ、その数を手帳に書きません。
柳の花の渡し場、蚕の頭の峰、使節を迎えた景勝地、そして切頭山。ひとつの場所にこれほど違う呼び名が重なっていることが、ノアにはいちばん心に残ります。道を描くときはいつも「今、この道はどんな形をしているか」を先に見るのに、ここでは「この土地はどう呼ばれてきたのか」を先に考えています。ノアは今日のページの上に、4つの名前を小さな字で並べて書きます。
ここは1997年11月11日、「ソウル 楊花渡と蚕頭峰遺跡」という名称で国の史跡に指定されました。それ以前にも地方の文化財に指定された聖地はありましたが、国の史跡となった聖地は切頭山が初めてです。面積は35,548㎡、住所は麻浦区土亭路6です。史跡と聞くと、ノアは自分の足取りにも、もう少し気を配りたくなります。
聖堂と博物館、外から見る建築
丘を上ると、聖堂と博物館が並んで見えてきます。右が丙寅殉教100周年記念聖堂、左が韓国カトリック殉教者博物館です。1956年に切頭山の殉教地を購入し、1966年に着工、1967年10月に聖堂と博物館が建てられました。博物館の最初の名前は切頭山殉教記念館です。2つの建物が接するところには、鐘塔が立っています。

ノアは建物の前で、しばらく見上げています。建築家イ・ヒテが設計した建物には、韓国の伝統的な形が取り入れられています。宮殿の柱を思わせる回廊の丸い柱、草葺き屋根のように滑らかに下りてくる軒、そして聖堂の祭壇の上には、かつて使われていた帽子「カッ」をかたどった天蓋。回廊の柱と軒の線を手帳に写しながら、ノアは西洋の聖堂と韓国の屋根が一つの建物でどう調和しているのかを、じっくり眺めます。
鐘塔の外壁と聖堂の西側の外壁には、彫刻作品もあります。鐘塔にはキム・セジュンの浮彫〈殉教者〉とカン・ヒドクの〈十字架〉、聖堂の西側には丙寅殉教者26人を刻んだキム・セジュンのブロンズの浮彫があります。博物館の入口の両脇では、イ・スンソクの2つの作品が向かい合っています。ノアは作品を一つずつ描く代わりに、建物の絵に小さな点を打って位置だけを残します。あとでこの絵を見る人に、どこへ目を向ければいいか伝わるように。
建物に入る前に、ノアは手帳をバッグへしまいます。切頭山では、聖堂や博物館の中で写真を撮れるのは、事前に相談した場合だけです。ノアにとってスケッチも同じ気持ちで向き合うもので、中では描かず、見るだけにしようと決めます。聖堂と博物館には飲食物も持ち込めないので、手に持っていた水のボトルもバッグにしまい、静かに扉を押します。
聖人遺骸室とミサの時間
聖堂の下には、聖人遺骸室があります。1984年に現在の姿となったこの部屋には、韓国の殉教聖人27人と、名前のわからない殉教者1人の遺骸が納められています。1984年5月3日、教皇ヨハネ・パウロ2世は韓国到着後、最初の日程としてここの聖遺骸室を訪れ、祈りをささげました。聖堂と遺骸室は07:00〜17:00に開きますが、ミサの最中は遺骸室に入れません。

ノアが着いたときは、ちょうど午前のミサが行われています。切頭山のミサは月曜が10:00の1回、火曜から日曜は10:00と15:00の2回です。土曜15:00のミサは、主日のミサとして行われます。ノアは外でミサが終わるのを待ってから、遺骸室へ向かいます。初めて訪ねるなら、先にミサの時間を見ておくと、遺骸室の前で待ったり、引き返したりせずに済みます。
遺骸室に、ノアは長居しません。静かに頭を下げ、この部屋の空気をそのまま覚えておこうとします。絵を描く人にとって、描かずに見るのは難しいことですが、今日はそれがふさわしいと感じます。外へ出て手帳を取り出しても、遺骸室は描きません。代わりに、聖堂へ上る階段の線を一本だけ引きます。
聖地では、いくつか守りたいマナーがあります。大声で話したり笑ったりせず、丈の短すぎるスカートやパンツ、体の線が出る服は控え、自転車やキックボードで乗り入れないこと。盲導犬以外のペットは連れて入れず、敷地内は飲酒・喫煙も禁止で、木や花は眺めるだけにとどめます。この一覧を読みながら、ノアはここは観光地である前に、祈る人たちの場所なのだと改めて思います。
聖堂の中で、ノアがいちばん長く見つめるのは祭壇の上の十字架です。頭を垂れたイエスの十字架が、天井からつり下げられています。壁の「十字架の道行き」は手だけで表現され、祭壇の上のカッをかたどった天蓋には、丸いステンドグラスがあります。ノアは絵に残す代わりに、その姿をじっと目に焼きつけます。このあとヒナには、手だけで表された十字架の道行きの前で、線を減らしてより多くを伝える方法もあるのだと学んだ、と話すことになります。
博物館の見学と週末の解説付き巡礼
博物館は火曜から日曜の09:30〜17:00に開館し、月曜と1月1日、旧正月と秋夕の連休は休館です。観覧料は定額ではなく、任意の献金を納めます。2020年11月から続く常設展は「目で歩く巡礼、韓国カトリック教会史」です。館内ではフラッシュや三脚を使った撮影、商業目的の撮影は禁止で、携帯電話は電源を切るか、マナーモードにしておきます。

博物館を出て時計を見ると、11時30分を少し過ぎています。切頭山では土曜と日曜だけ、解説付きの巡礼が行われます。予約は必要なく、教育館前に決められた時間に集まれば参加でき、出発は11:00・11:30・13:00・14:00、所要時間は50分です。ノアは13:00の回に参加することにして、それまで聖地の外の道をゆっくり歩きます。

解説付きで歩くと、一人では通り過ぎていたものにも改めて目が向きます。屋外には1972年に祝別された金大建神父像、1978年に造られたルルドの聖母洞窟、そして南鍾三ヨハネ像があります。古い鐘塔の十字架は、南鍾三像の前に埋め込まれた形で展示されています。解説を聞きながらノアは、ここが一つの記念碑ではなく、いくつもの時代が重なる場所なのだと気づきます。巡礼中は動画撮影も録音もできないので、ノアのように耳を傾け、覚えて帰りましょう。
巡礼を終えると、ノアは教育館前のベンチに座り、手帳を整理します。聖地には、体の不自由な訪問者のための備えもあります。教育館の入口には車椅子が2台あり、車椅子で聖堂に入るときは職員に声をかければリフトを使えます。AEDは博物館と教育館の入口に、トイレは教育館、屋外、聖堂へ上る階段の途中にあります。ただし、屋外のトイレは冬の間は閉鎖されます。
教育館には小聖堂と聖地の事務室、聖具センター、巡礼者食堂もあり、時間をかけて回るなら、ここでひと休みできます。ノアはベンチから立ち上がって教育館の前を見渡し、巡礼を終えた人たちが静かに別れていくのを眺めます。日曜の午後の聖地には多くの人が訪れていますが、大きな声は聞こえません。ノアはその様子を、何本かの線で残します。顔は描かず、歩いていく方向だけを矢印のように描きます。
日曜は一般公開のない墓苑、ノアが引き返した理由
15時頃、ノアは合井駅7番出口へ戻る途中で、楊花亭の前を通ります。その脇の小道を200m余り進めば、楊花津外国人宣教師墓苑の入口です。ノアは小道の手前で少し立ち止まり、明日また来ようと引き返します。墓苑が開くのは月曜から土曜の10:00〜17:00で、日曜にお墓参りができるのは遺族だけだからです。

初めて訪ねるときに、いちばん混同しやすいのがこの曜日の違いです。切頭山は日曜も聖堂と博物館が開きますが、すぐ近くの墓苑は一般の訪問を受け付けていません。土曜も10:00〜15:00に、案内を予約した人だけが入れます。2か所を1日で回るなら火曜から金曜が組みやすく、月曜を避けるのは、墓苑は開いていても切頭山の博物館が休みだからです。
川沿いをもっと歩きたいなら、「麻浦漢江の道」もあります。麻浦渡し場から楊花津へ続く約5kmの川沿いの道で、麻浦大橋から西江大橋を経て楊花大橋まで、歩いて2時間30分ほどです。楊花大橋が近づいたところで合井駅のほうへ向かうと、切頭山殉教聖地と楊花津外国人宣教師墓苑へ歩いてつなげられます。ノアはこの道を、手帳の後ろのページに書き留めます。次は川辺から歩き始めて、今日の最初の線につなげてみたいからです。
その晩、ノアはヒナに、聖堂と博物館の輪郭、回廊の柱、滑らかに下りる軒の線、彫刻の位置を示す小さな点を描いたページの写真を1枚送ります。写真の下には、「今日は、描かずに見ていたもののほうが多いです」と短く添えます。空港のヒナからは「そういう日もありますよね。無事に搭乗しました。来月また会いましょう」と返事が届きます。ノアはそれを読んで、明日、墓苑へ向かう線を手帳に先に引いておきます。
月曜の朝、楊花津外国人宣教師墓苑を歩く
月曜の10時、ノアはまた合井駅7番出口を出ます。正面の楊花亭を過ぎ、脇の小道を200m余り進むと、墓苑の入口に着きます。開苑時間内は誰でも自由に参拝できますが、案内を受けたり楊花津ホールを見学したりするには、訪問前日の18:00までに予約が必要で、当日予約はできません。ノアは今日は、一人で静かに歩くことにします。
今の墓苑を整え、管理しているのは100周年記念教会です。2005年7月に墓苑と記念館の管理を引き受け、2006年5月に「楊花津外国人宣教師墓苑」と名づけました。一人でも回れる自由参拝のほか、詳しい話を聞きたい人には予約制の案内もあります。次に来るときは前日の夕方までに案内を予約して、今日一人で見たものを、話を聞きながらもう一度見たいとノアは思います。

ここに初めて外国人が埋葬されたのは、1890年7月28日です。宣教師J. W. ヘロンが葬られたのを始まりに、同じ年の8月、外国人の墓地として整備されました。現在の面積は13,224㎡で、15か国の417人が眠っています。そのうち家族を含む宣教師は145人で、南アフリカ、アメリカ、スウェーデン、イギリス、カナダ、オーストラリアの6か国の人たちです。2005年7月1日以降、新たな埋葬は受け付けていません。
カナダという名前に、ノアは足を止めます。同じ国から来た人たちが100年以上前にこの土地へ渡り、ここに眠っていることが、初めて実感として伝わってきます。誰の墓がどこにあるのかを探して回ることはしません。参拝路を一列でゆっくり歩き、墓石の間に差す朝の光を眺めます。ソウルの道を描いて過ごしたこの数か月で、自分がどこから来たかを、今日ほど考えたのは初めてです。
朝の墓苑は静かです。何人かの訪問者がノアと同じように一人で、あるいは二人で参拝路を歩き、大声で話す人はなく、足音さえ木々の間に静かに消えていきます。ノアは昨日、望遠漢江公園で「大声で叫んだり、話したりしない」という一文を読んで、ヒナと笑ったことを思い出します。あの場所とここでは静かにする理由は違いますが、ほかの人のために守る静けさであることは同じです。
墓苑でも静かに過ごし、参拝路は一列で歩いて、墓石や土を盛った墓、記念碑を傷つけないようにします。写真を撮るのは必ず墓域の間の小道からで、墓域内の飲食、ごみのポイ捨て、拡声器の使用は一切認められていません。子どもと一緒なら、お墓でのマナーを先に伝えておきましょう。ノアは小道から、木と道の線だけをいくつか描き、墓石は描きません。

墓苑を出るとき、ノアは2日間描いてきた手帳をめくります。合井駅7番出口の最初の線、4つの名前、聖堂と博物館の輪郭、階段の一本の線、引き返した小道、そして今朝の木々。ほかの日より、ずっと線の少ないページです。それでも、ソウルで描いた中でいちばん長く記憶に残るページになりそうだと思います。描かなかったものが、その余白を埋めているからです。
合井駅へ戻る途中、ノアはもう一度、楊花亭の前を通ります。昨日ここで引き返したのに、1日たつと同じ東屋が違って見えます。昨日は「まだ行けていない場所」への入口で、今日は「行ってきた場所」からの出口だからです。通り過ぎながら、手帳の最初の線の横に小さな矢印を一つ足します。同じ出口から始まり、同じ出口へ戻ってきた、2日間の道のしるしです。
ノアはヒナに最後の写真を送り、墓苑の小道で描いた木の絵に、「カナダの人たちもここにいました。静かなところで、自分がどこから来たのか考えました」と添えます。返事は、東京で朝の通勤途中にいるヒナから届きます。「来月は、私が公演会場への道を描く番ですね。そのあとは、一緒に静かな道も歩きましょう」と読んで、ノアは手帳のいちばん後ろ、ヒナの公演の日付の横に小さな木を一本描き足します。
Common Mistakes — よくある失敗
日曜に墓苑もまとめて回ろうとする
楊花津外国人宣教師墓苑は日曜は遺族だけが入れます。土曜も10:00〜15:00に案内を予約した人だけです。
月曜に2か所とも見ようとする
月曜は墓苑は開いていますが、切頭山の博物館は休館です。1日で回るなら火〜金曜が組みやすい日です。
ミサ中に遺骸室へ直行する
ミサの最中は聖人遺骸室に入れません。ミサは火〜日曜10:00・15:00、月曜は10:00のみです。
聖堂や博物館の中で写真を撮る
切頭山の聖堂・博物館内の写真撮影は、事前に相談した場合だけです。墓苑での写真は墓域の間の小道からのみ撮れます。
解説付き巡礼を録音する
週末の解説付き巡礼は動画撮影も録音もできません。
いつもの服装のまま訪ねる
丈の短すぎるスカートやパンツ、体の線が出る服は控えましょう。大声で話したり笑ったりしないことも大切です。
FAQ — よくある質問
切頭山殉教聖地へはどう行きますか?
地下鉄2・6号線 合井駅7番出口から約450m、徒歩10分です。住所は麻浦区土亭路6です。
切頭山は何時に開きますか?
聖地自体はいつでも訪問できますが、聖堂と聖人遺骸室は07:00〜17:00、博物館は火〜日曜09:30〜17:00です。博物館は月曜・1月1日・旧正月と秋夕の連休は休館です。
博物館の入場料はいくらですか?
定額の料金ではなく、任意の献金です。
解説を聞くことはできますか?
土・日曜に予約不要の解説付き巡礼があり、教育館前を11:00・11:30・13:00・14:00に出発します。所要時間は50分です。
楊花津外国人宣教師墓苑はいつ開きますか?
月〜土曜10:00〜17:00です。土曜は10:00〜15:00に案内を予約した人だけ、日曜は遺族だけが入れます。案内の予約は訪問前日の18:00までです。
墓苑へはどう行きますか?
合井駅7番出口正面の楊花亭脇の小道を200m余り進むと入口です。住所は麻浦区楊花津キル46です。
車椅子で訪ねられますか?
切頭山は教育館の入口に車椅子が2台あり、聖堂には職員に声をかければリフトで入れます。
Recap — 出発前の30秒
- どちらも合井駅7番出口から。切頭山は約450m・徒歩10分、墓苑は楊花亭脇の小道を200m余り。
- 切頭山:聖堂・遺骸室07:00〜17:00(ミサ中は遺骸室に入れません)、博物館は火〜日曜09:30〜17:00(任意の献金)。
- 週末の解説付き巡礼は11:00・11:30・13:00・14:00、教育館前から。録音・撮影不可。
- 墓苑:月〜土曜10:00〜17:00、土曜は10:00〜15:00の予約者のみ、日曜は遺族のみ。
- 静かに過ごし、服装にも配慮を。聖堂・博物館内の写真は事前相談、墓苑の写真は小道からのみ。
参考資料
- 切頭山殉教聖地 — 楊花渡と蚕頭峰楊花津・蚕頭峰の名前の意味 · 明の使節の接待と楊花踏雪 · 1754年の軍営設置 · 1866年の処刑と切頭山の名称 · 推定約200人の殉教者と名前が確認された29人 · 聖堂・博物館の建設経緯 · 1997年の史跡指定確認 2026-10-22
- 切頭山殉教聖地 — 聖堂右側の聖堂・左側の博物館と両者の間の鐘楼 · 李熙泰の設計 · 回廊の丸柱・軒・カッ型の天蓋 · 聖堂と鐘楼の外壁および博物館入口の作品 · 吊り下げられた十字架・手で表現した十字架の道行き・円形のステンドグラス · 屋外の彫刻と旧鐘楼の十字架確認 2026-10-22
- 切頭山殉教聖地 — ミサと訪問時間聖地全体と各施設の開放時間の違い · 聖堂・聖人遺骨室7:00〜17:00、ミサ中は遺骨室に入室不可 · 月曜10:00、火〜日曜10:00・15:00のミサ · 博物館は火〜日曜9:30〜17:00、休館日の案内確認 2026-10-22
- 切頭山殉教聖地 — 解説付き巡礼土・日曜に予約不要で教育館前から出発 · 11:00・11:30・13:00・14:00開始 · 所要50分 · 動画撮影・音声録音不可確認 2026-10-22
- 楊花津外国人宣教師墓園 — 訪問案内月〜土曜10:00〜17:00 · 土曜は10:00〜15:00、案内予約者のみ入園可 · 開放時間内の自由参拝 · 案内・楊花津ホール見学は前日18時までの予約が必要、当日予約不可確認 2026-10-22
- 楊花津外国人宣教師墓園 — 訪問時の注意静粛と参拝路での一列歩行 · 墓石・墳丘・記念碑の保護 · 写真撮影は墓の間の道からのみ · 飲食・ごみの投棄・拡声器禁止 · 子ども同伴時の墓地でのマナー指導確認 2026-10-22
AIキャラクターと一緒に歩くソウルの物語です。スポット情報は公開資料で確認し、写真はAIで制作した演出画像です。 AI活用について


